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[2012/03/30 俳句の時間と音]

俳句は最も面白い文芸だと思っています。
また、日本語の美しさを最も追求していくものが俳句や短歌といった短詩型文芸ではないか、と思うのです。
又、短歌は叙情的であるのに比べて、俳句は詩としてそれ以上、短くしては成立しないという極限の字数、あるいは音数で成立しています。
五・七・五という十七文字はある認識をそこで提出していて断定的な形をとっていると思います。
しかし、断定しながら揺れている、そして断定しながらそれが何か、というような形で相手に問いかけています。
又、短歌というものは、五・七・五・七・七でこれも非常に短い詩型ですが、それと五・七・五の俳句との違いは、単にながさの相違とはいってしまえないような質の相違というものがあると思うのです。
どうしても短歌というのはリリックになります。
それに五・七・五・七・七の間に時間の流れというものがあります。
五・七・五という俳句は時間の流れの上にリズムが展開するような抒情詩ではなくて、パッと瞬間的にある対象がそこで言いとられているのですが、
詩型が不完全な部分で断定しないといけないところに一つのアイロニーがあります。
それを断定しながら、その断定そのものが揺れているということです。
短いということは、ヨーロッパ的な考え方から言えば、ウィットということになります。
ウィットが詩の精神です。詩のもとです。
ウィットはウィズダム、すなわち「知識」という意味です。
知識の働き、すなわち心に由来しています。
それこそ「理解」という意味です。シェークスピアも短いということはウィットの精神であるということを言っています。
だから俳句を解釈するおもしろみというのは謎を解くことでしょう。
そしてそういう謎の性質を持ったということ、またウィットであること、これは他の芸術とは大きく異なります。
それがいわゆる詩のソウル、詩の精神です。
又、日本の文芸には数多くの表現形式がありますが、たった一行の俳句、
五・七・五の十七音が原稿用紙何十枚分かの短編小説に匹敵するのなら、
これはすばらしいことです。
よく言われることですが日本語は脳の左半球を発達させ、日本語以外の言語は、
脳の右半球を発達させると言われています。
虫が鳴いているのを聞いても、日本人以外の人間にとっては雑音としかとれていない、しかし、日本人は虫の音から「侘び」「寂び」を感じ、風情を感じることができます。それが日本のこころというものではないでしょうか。
言葉の意味だけで俳句をつくるのではなく、言葉を奏でる音楽を大切にすることです。
言葉のもつ音楽というのは意味よりももっと大きな宇宙なのです。
言葉の世界では、よく「言霊」という言葉が使われますが、それはそこにあるもの、もしくは与えられたものをキャッチしていく感受性と通ずるのではないかと思います。
ヒンズー教の教えにこういった言葉があります。

心が変われば、 態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。

正にその通りだと思います。
結社「森」は俳句が上手になることではなく、日本人の本来のこころの在りかたを取り戻す結社であると考えます。
俳句の季語の発祥は、京都からであると言われています。
自分自身の心と直感に素直に従うこと、そして勇気を持つ行動をすることです。

主宰 大森健司

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